企業のなかでどう生きるか 講談社現代新書650

2005/2006 BKNS 52円(600円) 2007-09-28/10-02 ★3 図書館蔵書336.4

古本屋で見かけた。昭和本。

金持ち父さん風にいうと、Eクワドラントに属する人であり、そして、日本型企業で働く人たちの振る舞いや文化について知りたくて読んだ。

日本型企業を肯定する立場で書かれていた。稟議や根回しは、ボトムの人たちの発案によって、組織全体で決定するシステムだという。また、社風や愛社精神によって、自社製品を誇りに思い、自発的に仕事をするものらしい。

さらに、日本型企業のオフィスのレイアウトは、島型の配置をする。これは、日本人は、仕切りがなくてもプライベートを確保するように振舞う文化であると同時に、すぐに、上司と部下がコミュニケーションを取りやすいことにあるようだ(ただし、東京が狭くて家賃が高いから結果的にそうなったと反論ができるし、いまではそうでもなくなっているように思える)。

アメリカの企業では、従業員はレンガ(プログラム風にいうとモジュール)のように当てはめるだけといった印象を得た(だから、履歴書に年齢や性別の記入を禁止しているのも理解できた)。

冒頭の方で「最近の若者は…」論が展開されている。さらに、最初の1年間は専門書を読むだけの毎日だったとか書かれているのを思うと、企業に余裕があり、バカでも正社員になれた、古いき良き時代だったと思う。なお、発刊当時、大学新卒だったとすると、現在50歳前後の人たちになる。いまごろリストラされて、アルバイトで食いつないでいるか、起業詐欺にあって、自殺している人たちだろう。

p.55では、アメリカ人がセールスを教えるために、一万円札の束を掲げ、「君たちはみんなこれが欲しいだろう。欲しければ売って売ってうりまくることだ」と話したそうだ。日本人であってもお金は欲しいけど、それだけのために働いているわけでないので、大半の人が辞めてしまったそうだ(Googleアドセンス狩りにあって、何度もGoogleに理由を問い合わせた結果、「結局、金なんだろ?」と言われたことに、不快感を覚えたという旨のブログを思い出した。ほかには、学生ベンチャーに勤めていた知人は、経営についてあれこれアドバイスしていたら、学生上がりの社長に、「で、いくら欲しいの?」と言われて、憤慨していた。アメリカ人は昔も今もそうだし、日本人の若者にも「結局、金なんだろ?」という風潮が広まりつつあるのがわかる)。

1960年代はじめに、文化人類学者のマーガレット・ミル女史は、下の者が上の者を教える時代が到来することを予想していた。また、『成長の危機』をまとめたフォレスターは、フラットな社会をすでに予想していた(pp.205-206)。